新世紀のことば――WとD、食事とセレナーデ

いわゆる哲学の本を読みはじめてからというもの(それはたった十年前のことだが)、私はずっと、一方でウィトゲンシュタイン、他方でドゥルーズという二人のアイドルを持っていた(相手をアイドルにしてしまうのは私の致命的な欠点である)。

私の二人との接しかたは、ウィトゲンシュタインと食事をともにし、ドゥルーズにセレナーデを奏でる、といったような具合だ(逆ではない)。

しかし、十年間つづいたこの悪習も、なんだか少し変わりつつあるような気がしている。どうもセレナーデを奏でるのに疲れてきているようなのだ。いくらセレナーデを奏でても、相手は高い窓の上から、私には見えない空の彼方を見つめているばかりなのだ。私は本当にこの人を愛していたのだろうか、私は相手のどこに魅せられていたのだろうか、だんだん怪しくなってくる。今世紀は食事とセレナーデについて、いろいろと思い悩むことになりそうだ。

新世紀早々、つまらない話(さらにわるいことには恥ずかしい話)をしてしまった。

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