この数日間で、長年ともに暮らしてきた小動物があいついで死んだ。自分の生活能力の著しい減退を感じる。布団の中から這い出すことにすら困難がともなう。いい歳こいて畜生のひとつやふたつくたばったくらいで無用なセンチメンタリズムに惑溺してメソメソしやがってという声が聞こえてくる。他方で、動物好きにとってペットは家族同然らしいからねぇなどという慰めの声も聞こえてくる。しかし、ぼくはべつに動物好きなのではないし、メソメソするのに年齢はあまり関係ないんじゃないかとも思う。さらにしかし、そんな問答はぼくの脳内でグルグルと回転しているだけであり、つまり頼まれてもいないのに勝手に逆ギレしているわけであり、これはちょっとしたビョーキなのだとも思う。ただ、彼女たちの不在を埋めるために数リットルの酒と数ミリリットルの涙とが必要だったことはたしかだ。チロは17年前に妹が拾ってきた捨て猫。田舎の家にやってきたときには20センチくらいの仔猫だった。くーは10年前の田端時代にやってきたオカメインコ。なかなか毛の生えない売れ残りだった。……愛はいらない、湿度だけで。いまそれを強く感じる。オール・アロング・ザ・布団の中。布団の中からずっと。ケータイでこんなにたくさんの文字を書いたのは初めてだ。自ら日記を公開しておいてなんだという話だし、これはたんなるぼく自身の勝手な希望であり、あなたにたいする命令などでは決してありえないのだけれども……愛はいらないし、コメントもいらない。今日はそう言わせてくれ。こう書かせてくれ。
くーの亡骸は自宅の小さな庭に埋めた。
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◇哲劇メモ > [随想] – エセーあるいは「生活感情の表現」
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