加藤尚武編『ハイデガーの技術論』(理想社)を斜め読み。ハイデガーの語りに魅力を感じつつも、最後にはいつも退けてしまう理由は、その語りの形にある。みもふたもなく言ってしまえば、こういうことだ。「昔はあらゆるものが本来的なありかたをしていたのに、いまではあらゆるものが非本来的なありかたをしている」……これが前半部分。これだけであれば、さまざまに展開されている回顧主義的な語りと変わらない。後半部分は、「しかし、危険のあるところから救いもまた現れる。非本来性にどっぷり浸かることから本来性の認識が芽生えるのである」云々。黙示録である。講演やエッセイの「ちょっといい話」としてはバッチリはまるだろうが、これは思考のありかたとしては避けるべき罠ではないか。これさえあればいつまでも同じことを言い続けることができるだろう。
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