もうすぐですよ。日時は2015年5月9日(土)18時30分~20時、場所は朝日カルチャーセンター新宿教室。受講料は会員3,456円、一般4,104円(税込)。
- 北田暁大+吉川浩満 社会は「遺伝」するのか? ダーウィニズムと科学、歴史、差別──『理不尽な進化』刊行記念
詳細と申込→ https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/b73f060d-aec9-6db3-4970-54f7f9f4bfb9
北田さんが非常に興味深いトピックを用意してくださいます。みなさまお誘い合わせのうえ、ぜひご参加ください。私も楽しみにしています。
追記
私自身にとって、たいへん有益な対談でした。以下は北田さんの拙著にたいするコメント(私による勝手な要約)。
- 拙著終章の「説明と理解」の見立ては適切ではない!
- むしろ「説明と説明」の問題(あくまで科学内の対立)
- その対立の内実は?
- 自然淘汰に関わる環境・条件をどのように捉えるか
- モデルの有効性を重視するか、実在との近似を重視するか
- 後者のグールドは実在論的・検証主義的な科学主義者
- もしグールドの骨を拾うなら?
- 「説明の中に入り込む理解」というトピックへの貢献
- たとえば『測りまちがい』のテーマは「科学的」な測定の規約性の分析と、
- 規約的に立てられた構成物が実在として流通することへの警鐘
- それは歴史の救済でもイデオロギー批判でもない。ある種の科学観の科学的批判
ほぼ説得されました。グールドの戦いをあくまで進化理論の文脈において捉えるなら、たしかに北田流の「説明と説明」の枠組のほうがレリヴァンスが高い。拙著の改訂版あるいは増補新版(あれば)のための重要なヒントをいただきました。北田さん、ありがとうございました!
ちなみに私は「説明と理解」という問題系を、近代科学の成立とそれにたいする反動というかたちで発生し、現代においても「二つの文化」や所謂「サイエンス・ウォーズ」、近年では原発事故をめぐる論議などにおいても命脈を保っているカント的アンチノミー、として捉えています。
お読みになった方には明らかなとおり、拙著終章は長いあいだ私の関心であった、この「説明と理解」の枠組においてグールドの孤軍奮闘を描きました。それはそれで一定の意義をもつ試みだったと思います。なにしろこれは近代思想の中核をなす大問題ですから。しかし同時に、ある意味でこれは、そんな問題が存在するという事態そのものが非常に嘆かわしいというか阿呆らしく感じられるような擬似問題でもあります。
哲学記者あるいは概念トラブルレポーター(conceptual troubles reporter)としては注視せざるをえない、そんな類の問題なのです。
- 作者: 吉川浩満
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2014/10/25
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