遺伝子操作に似たテキスト操作

遺伝子操作に似たテキスト操作

ウィトゲンシュタインのテキストのスタイルと構造の特異性は、それが生み出される独特の過程に由来する。まとまった考えをテキストによって表現しようとする時、通常我々は表現されるべき内容に沿って順に書いてゆく。そして書かれた内容と内容は、接続詞、見出し、表題、といった様々な「接着剤」によって結び付けられる。結果として出来上がるテキストは連続的で単線的な構造を持つことになる。そこにはテキストの最小単位というものは存在しないし、内容を把握するためには、最初から順に読むのが最も効果的な方法である。こうしたテキスト構造をリニアーな連続構造と呼ぼう。世に存在する書物や文章の大多数はこうした構造を持っている。ところがごく少数の例外を除いて、ウィトゲンシュタインのテキストはリニアーな連続構造を持っていない。ウィトゲンシュタインがテキストを製作する過程は、リニアーで連続的なテキストが生成される過程とは全く異なるものなのである。両者の最大の違いは、ウィトゲンシュタインのテキストには彼自身が「ベメルクンク(考察)」と呼ぶテキストの最小単位が存在することである。本書の章扉に見られるように、ウィトゲンシュタインのテキストは、前後を空行で区切られた「ベメルクンク(考察)」という単位の連なりなのである。

こうした各「考察(ベメルクンク)」はウィトゲンシュタインの日々の思考の記録であるが、それは決して考えが湧くままに書き連ねられたものではない。その時々に直面している哲学的な問題について考えに考えを重ねるのが彼の日課であったが、そうした過程で、重要だが以前は曖昧だった思考を明瞭な言葉で表現できたと感じた時だけ、手稿ノートに「考察」として書き付けた。それらは程度の差こそあれ、常に「救いの言葉」という要素を持っていた。「考察」がこのように厳選された思考の記録であることは、第一次大戦期の日記と哲学的考察の比較からうかがうことができる。哲学的スランプ期の日記には、くり返し「仕事するも成果なし」(ウィトゲンシュタインのテキストで「仕事」とは哲学的思考を意味する)という表現が現れ、こうした日の哲学的考察の記入はたいていゼロである。彼の哲学的思考が常に「考察」という成果を生み出したわけではないことを示しているのだ。このように、高い完成度を持つ思考のみが「考察」としてノートに記録されたということは、ウィトゲンシュタインが自分の「考察」に対してある種の決定性、最終性を認めていたことを意味する。その結果「考察」は基本的に不変なテキストの最小単位として長い間存続し続け、同一の「考察」が異なるテキストに何度もくり返し現れるということが、きわめて頻繁に起こるのである。ウィトゲンシュタインのテキストにおいて「考察」が果たす役割は、ゲノムにおいて遺伝子が果たしている役割に似ていると言えるだろう。「考察」はウィトゲンシュタインのテキストの不変で不連続な単位なのである。こうしたテキスト構造をゲノム的不連続構造と呼ぺるだろう。ウィトゲンシュタインのテキストの構造的特質とはゲノム的不連続構造を持っていることなのである。

このようにウィトゲンシュタインのテキスト製作は、日々の哲学的思考の結晶を「考察」としてノートに書きとめることから始まるが、それに続くのが重要な「考察」を選び出し、分類し、並ぺ替えて様々な二次的なテキストを製作する過程である。それは遺伝子操作に似たテキスト操作である。ウィトゲンシュタインが行なうテキスト操作には様々な種類があり、それぞれは完成稿を作るための異なったプロセスであると考えることができる。それゆえ異なった操作によって作成されたテキストは異なった性格を持っているのである。つまり、ウィトゲンシュタインが残した膨大なテキストは、それぞれがどのようなテキスト操作によって生み出されたのかによって、いくつかのグループに分類できるのであり、こうした分類を通じてのみ、ウィトゲンシュタインのテキストは十分に理解されるのである。

――鬼界彰夫ウィトゲンシュタインはこう考えた――哲学的思考の軌跡1912-1951』講談社現代新書、pp.13-14