まっすぐな尻尾のお犬さまが、その尻尾を猫のようにクルリと身体に巻きつけて「おすわり」をしているところを、お前らはご覧になったことがありますか? 少なくとも小生はありません(*1)。
考えてみれば、すわっているときに尻尾をダランと伸ばしていると、うしろを通りかかった動物や人間や機械などに踏まれそうで、いかにも危険なように思えるのだが、いかがなものか。
やっぱり、おすわり時に尻尾を振れないというような体たらくでは大いに困るってことなのだろうか。たしかに(とか言ってるが、直接本人いや本犬に確認したわけではない)、お犬さまの感情表現に占める尻尾の動きの重要性は、いくら強調してもしすぎることはないように思える。
……というようなことを考えていたとき、ジャン=レオン・ジェローム(*2)の「樽のディオゲネス」(*3)の絵のなかにいたお犬さまもたしかそうだったよなと思い出し、確認してみた。
画像をご覧あれ。上はマのおすわり姿、下はジェロームによる「樽のディオゲネス」。
やっぱ尻尾ダランと伸ばしてるよな。
【追記】すぐに識者の方々から「右の犬は巻いている」というご指摘を受けた。たしかにモロに巻いている… すでに反証されてしまった。
- (*1)はじめから尻尾を上方に巻いている柴犬や、はじめからではないにしろ尻尾を切られてしまった犬は除く。
- (*2)フランスの画家、彫刻家(1824-1904)。アカデミスムの代表的画家として知られる。
- (*3)紀元前4世紀に活動した古代ギリシャの哲学者。生涯一枚の衣、一本の杖と頭陀袋のほかにはなにも身につけず、樽を住みかとし、禁欲と苦行の生活を送ったことから、多くの奇行と逸話の主人公となった。樽を住みかとしていたので「樽のディオゲネス」とも呼ばれた。貧乏と無恥に支えられた生き方から「犬」ともあだ名され、その一派はキュニコス(犬の)学派(犬儒学派)と呼ばれる。ちなみに、ディオゲネスが日光浴をしていたときにアレクサンドロス大王がやってきて「わたしが偉大なる王のアレクサンドロスだ」と切りだしたところ、「それなら、わたしはキュニコス学派のディオゲネスだ」と応じ、大王が「望みがあれば申し出よ」と尋ねたところ、「わたしに日光があたるよう、少しどいてくれ」と応えた(らしい)。アレクサンドロスは感激し、立ち去り際に「もしわたしがアレクサンドロスでなかったなら、ディオゲネスになりたいものだ」とつぶやいた(らしい)。また、昼間に灯りをともしたランプを持って、「わたしは人間を探している」と言いながら、アテネの町を歩きまわったという逸話も。
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