非‐知としてのテクノロジー

『非‐知としてのテクノロジー』 [来るべき書物]

20世紀の科学哲学が大きな成果を残した、「自然科学の認識論的な地位の画定」には興味がなくなってしまった(もちろん、それが重要でないと考えているわけではない)。

いま考えてみたいのは、技術(テクノロジー)をどのように思考すればよいか/そもそも思考可能なのかどうかについてだ。技術は、知にではなく、いわば「非‐知」(手垢のついたマジックワードで恐縮だが、ほかに言葉が見あたらないので、とりあえず「非‐知」と呼ばせていただく)に関わる営為である。または、科学は技術を介して非‐知と接すると言ったほうが正確か。いやいや、科学が技術を云々ではなく、技術が科学を云々と言わなければならないのではないか(ちなみにこれはべつに「斬新」な考えかたではないだろうが)。

もしかしたら、ここには考えることなどなにもないのかもしれない。科学/技術の知的な側面には考えることが山ほどあるが得るところ少なく、他方その非‐知的な側面については、それのみが問題なのに端的に思考不可能、そんなところなのかもしれない。または、ほかのところにあるのかもしれない。