思考可能なものたち、それはすなわち語りうるものたちのことだ。それゆえ、思考可能性の変化とは、語りうるものたちの変化にほかならない。語りうるものの領域が変化する。しかし、その変化を語ることはできない。ただ、変化しつつ語り続けること。なるほど、語りえぬものについては、沈黙するしかない。だが、語りえぬものを語りえぬままに立ち上がらせるには、語り続けねばならない。(野矢茂樹『他者の声、実在の声』産業図書、2005、p.234)
再帰の構造に内在していることを自覚する彼(鈴木謙介――引用者註)は、体験を持ち出さないのはもちろんのこと、データに依拠した論証形式にすら特権性を与えることもない。何とも息苦しい「世代的利害」のなかで、断念するという選択肢を断念しつつ、鈴木は言葉を紡ぎ出している。(北田暁大「世代論の終焉」、『カーニヴァル化する社会』書評、i feelブックレビュー、2005)
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