ことばの狩人カール・クラウス

長いあいだ探していた――といっても、思い出したときに検索したりしていただけなのだが――本をようやく見つけた。

チェスタトンは一八七四年に生まれ一九三六年に死んだのだが、このチェスタトンと同じ年に生まれ、またチェスタトンと同じように、いかなる党派にもよらず、文芸や文化・社会間題全般にわたってウィットとユーモアゆたかにペンを振った男がいる。そして彼はチェスタトンと同じ年に死んだ。ただこちらはブラウン神父のような人気者を生み出さなかった。だからして知名度ではとうていかなわない。しかしながら、こちらの男もまた風変わりな方法で犯罪を突ぎとめ、あざやかに犯人を見つけ出したのである。ただしこちらの男の場合、同じ人間のやらかす犯罪でも人殺しや盗みのたぐいではなく、ことばに対する犯罪だった。彼が槍玉にあげたのは、ことば殺しの犯人であり、ことばの窃盗や傷害であった。井上ひさし風にいうとすれば、さしづめ「国語辞典殺人事件」の名探偵ということになる。
つまりがカール・クラウスである。(pp.4-5)

カール・クラウス(1874-1936)は19世紀末から第二次世界大戦の直前にかけてウィーンで活動した批評家・劇作家・詩人・諷刺家。マーラークリムトホフマンスタールエゴン・シーレフロイトウィトゲンシュタインらとならぶ、いわゆる世紀末ウィーンの申し子のひとりである。個人誌『炬火』(Die Fackel)を舞台に、仮借ない論争家として世の中のあらゆることにたいして手当たり次第にペンを振った。

本書は日本語で読める(たぶん)唯一のクラウス伝。1985年、筑摩書房から出ていた水星文庫の一冊として刊行された。水星文庫には、ほかに浅田彰ヘルメスの音楽』や赤瀬川原平『いまやアクションあるのみ!』などもラインアップされている。

代表作『人類最期の日々』をはじめとしたクラウスの作品は、法政大学出版局から刊行されている著作集(『カール・クラウス著作集』)や単行本(『モラルと犯罪』)、それにいくつかのアンソロジーで読むことができる(残念ながら品切・絶版も多い)。

興味をもった人は、とりあえず『ウィーン世紀末文学選』を覗いてみるのもいいかもしれない。収録作「楽天家と不平家の対話」は、『人類最期の日々』から抜き出された一節。

ウィーン世紀末文学選 (岩波文庫)

ウィーン世紀末文学選 (岩波文庫)

ある程度まとまったクラウス論としてわたしが知っているのは下記。

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

ウィトゲンシュタインのウィーン (平凡社ライブラリー)

ウィトゲンシュタインのウィーン (平凡社ライブラリー)

未刊だが、池内紀氏の『池内紀の仕事場2 〈ユダヤ人〉という存在』(みすず書房)にも期待している。

みすず書房 > 『池内紀の仕事場』
http://www.msz.co.jp/top/ikeuchi/

ウェブを検索していたら、クラウスにかんするシンポジウムが開催されるとのこと。聴きに行きたい…

◇日本独文学会 第59回総会春季研究発表会 5月4日シンポジウムVI
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jgg/kikaku/2005fr.html

最後に、本書カヴァーに印刷されたクラウスの寸言をいくつか拾っておく。

何ほどか言うべきものをもつ者は進み出よ。そして口をつぐめ。
私はいかなる党派も知らない。ただ卑怯者を知るのみ。
私はだれにも火を借りない。借りたくもない。生活にも、愛にも、文学にも。しかし私は煙草をふかす。
ことばは思想の娘ではない。母親である。
ことば遊びから思想が生まれる。
ヒットラーと聞いてもわたしの頭に浮かぶことは何もない。
あの世界が目覚めたとき、ことばは永遠の眠りについた。

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