なぜ人を殺してはいけないのか?

という特集が、『文藝』(1998年夏号、河出書房新社)で組まれていることをご存じでしょうか。文芸誌なんぞを読む奇特な人が日本全国でどれだけ生息しているのか想像もつかないけれど、まあ2000人前後ってところでしょうから、ここをご覧になってくださる皆さんで同誌をお読みになっている方はそう多くはいらっしゃらないのではないかと思いますが。さて、それはそれとして、特集です。会社帰りに書店にて同誌を見かけた私は「ホウドレドレ」と手に取り、ちょっと覗いてみました。「14歳の中学生に『なぜ人を殺してはいけないの?』と聞かれたらあなたは何と答えますか?」という「緊急アンケート」があり、大学の先生やら作家やら精神科医やら有名人やらが文章を寄せています。ある特定の人々にとっては錚々たる執筆陣といえるでしょう。で、はじめは「フムフム」などと読んでいたのですが、これは何かすごいことになっているに違いないという嬉しい予感とともに湧き起こる笑いの発作に耐え切れず、このままでは変な人だと思われかねない、次に来たときに白い目で見られかねないということで、思わず購入して持ち帰ってしまったのです。当然電車内で読むのは差し控え、帰宅してから急いでページを繰りました。いろんな書き方や内容がありましたが、ひととおり一読して受けた印象は、「いったいこの人たちはこれを誰に向かって書いているのだろう」というものです。それはもちろん現実的には『文藝』編集部および同誌読者に向かってなのでしょうが、しかしアンケートの趣旨は「14歳の少年にどう答えるか」というものだったはずです。まさに14歳の少年に答えるように「オジサンはね、哲学ということをやっていてね、それでね……」などとお答えになっている人もいましたが、「クレタ島の嘘つきの逆説のパロディ」だとか「エディプス・コンプレックスが示すように……」だとか「マゾ的な心的機制」だとかいうことを平気で書いている人が多くて驚きました。「サァ14歳の少年の気持ちに戻って聞いてやるぞ」と張り切って身構えつつ読みはじめた私は、ここで見事に一杯食わされたわけです。クレタ島の嘘つき? マゾ的な心的機制? ナニソレ? ハッと素に戻って考えたところ、こういうことなんじゃないかなあと思えてきました。つまり、彼らは答えの冒頭に「14歳の少年を除く、『文藝』編集部ならびに同誌の読者の方々へ」という言葉を掲げるのを忘れたのだ、と。だってこれはもう、14歳の少年を意図的にその対象から除外したような答え方ではありませんか。まあ実際は、2000人の読者のうち14歳の少年が同誌を読む可能性はかなり低いのでしょうから、さして問題もないのでしょう。ということは執筆者がハナから『文藝』編集部ならびに同誌読者の方々(そのうち14歳の少年はたぶんとても少ない)にのみ向けて答えを書いたとしても別にどうってことはないわけですし、執筆者はそこに「14歳の少年を除く、『文藝』編集部ならびに同誌読者の方々へ」などという但し書きを入れる必要すら感じなかったのかもしれません。しかし私は思うのです、彼らにはそういった自覚があるのだろうかと。何度も繰り返して申し訳ありませんが、たかだか2000人しか読まないような雑誌に何をどんな風に書こうと、どうってことはないんじゃないかといえばいえます。別に書いても書かなくても、そして読まれても読まれなくても同じだろうとまで言い切ることができるかもしれません(というか文芸誌自体がそういうもののようです)。しかし私が心配しているのは、そこに書かれた内容についてや書かれた内容が社会に及ぼす影響などではなく、執筆者の方々の精神の衛生状態についてなのであります。だってそうじゃないですか。簡単に「14歳の中学生に『なぜ人を殺してはいけないの?』と聞かれたらあなたは何と答えますか?」っていうけれども、どんな状況で、どんな少年に、どんな表情で、どんな口調でそう尋ねられるのかをちょっと考えたらわけがわからなくなるでしょう。日曜日、テーブルを囲んでちょっと遅めのブレックファストをとっている最中、14歳になる長男がスクランブルエッグを口に運びながら、ふと思い出したように「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞くのかもしれないし、ロサンゼルスへ旅行中に迷い込んだ寂しい路地で、年端も行かぬ少年に黒光りのする拳銃を突きつけられ、「おい、何で人を殺しちゃいけないのか俺の納得のいくように説明してみな。それができたら命だけは助けてやる」と脅されるのかもしれないし、変態的な快楽殺人者である14歳の少年に拉致され、人間の皮が一面に張られている密室に閉じ込められたうえに後ろ手に椅子に縛りつけられた状況でそう尋ねられるのかもしれない。はじめにアンケートの設問を読んだ私が考えたのは、その設問の奇妙さとともに、こうした具体的な状況についてのイメージなのでした。「マゾ的な心的機制」だとか「エディプス・コンプレックス」などという言葉がちりばめられた答えを書いた方々は、どういう状況をイメージしていたのでしょうか。「たとえどんな状況であっても私はそう答える」ということならばある種立派です。なにしろ、どんな状況においても「10年も前に『殺人のイコノロジー』に関する小文を書いたことがある。ブルケルトの……」などとしゃべりはじめることができるというのはやはりたいしたものです。なかなかできません。しかし、もしそうでなかったとしたらどうでしょう。この問い、そしてそれにたいする答えがまったく空虚になりはしないかと恐れます。そしてその空虚な問いに空虚な答えで応答する人々には明らかに位置感覚の欠如、想像力の欠如が認められるのではないかと思います。しかもかなりの重症です。しつこいようで申し訳ありませんが、たかだか2000人が目にするにすぎない雑誌で何を書こうと別にどうということはありません。けれどもご自分の症状の重さにお気づきになった方がよろしいのではないかとも
思えます。私が愚考するに、この問いには、内容はともかくとして以下の2種類の答え方がもっとも適切かと思います。ひとつは、編集部による設問そのものについて批評するやり方。その際、「14歳の少年を除く、『文藝』編集部ならびに同誌の読者の方々へ」という言葉を冒頭に掲げることを忘れてはなりません。なにしろアンケートにたいするルール違反をやらかしているわけだから一言あって当然でしょう。もうひとつは、ある特定の状況を勝手にイメージして、その状況を明示するとともに、ほんとうに14歳の少年に語りかけるように答えるやり方。以上ふたつの書き方をされた方もいらっしゃいましたが、しかし、前者においては「14歳の少年を除く、『文藝』編集部ならびに同誌の読者の方々へ」の但し書きは皆無でしたし、後者においては想定した特定の状況をも具体的に明示してくれるものがほとんどありませんでした。別にそうしなければならないなどと申す気は毛頭ありませんが、特に後者においては、この問いの空虚さと自分が実際にイメージした状況との落差を示すことが、エンターテインメント的な工夫としてあってもいいのではないかと思います。もうこれで最後にしますが、たった2000人の読者がいるにすぎない雑誌でどんな特集が組まれようと、どんな文章が掲載されようとたいしたことではないのかもしれません。それに、執筆者の方々は私が思うほど位置感覚が欠如しているわけでもなければ想像力が欠如しているわけでもないのでしょう。短い期日のうちに書かねばならぬ原稿を頼まれて大急ぎで書いたのでしょうし、原稿を断ったりあまり変なものを書いたりすると今後の文筆業に支障をきたすということであのようになってしまったのかもしれません。またこのようなテーマが執筆者に与える有形無形の圧力や拘束がもしかしたらあるのかもしれません。大学教授や作家ともあろう者がふざけた答え方をしてはいけない、といった具合に。そうした心的機制が彼/彼女らから日常的な判断力・決断力を奪ってしまったのかもしれません。まあそれらの事情については私がとやかく言う筋合いはございません。今後も精力的に頑張って楽しませてくださいね。……とまあ、グダグダとつまらないことを述べてまいったわけですが、誤解していただきたくないのは、私が同誌のこの特集を失敗だと考えているわけではないということです。むしろ逆です。失敗どころかこの企画は大成功だったと思うのです。実際、これほどおもしろい文芸誌の特集には久しぶりに出会ったと思っています。アンケートの設問が空虚だからといって『文藝』編集部は悪くはありません。この空虚な設問こそが企画を成功に導いているのだとすらいえるでしょう。なぜならこの設問が執筆者にたいするかっこうの試金石となっているからです。だから私も、執筆者の答えから、以上長々と述べてきたような興味深い現象を見出すことができたわけです。それだけでもうこの企画の成功は約束されたも同然といえますし、私も薄っぺらい財布から貴重な千円札を泣きながら抜き取った甲斐があったというものです。