卓球部サーガ――モッチャン赤禍事件

高校時代の同級生であり卓球部の仲間であったモッチャンについてお話しします。
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050216#p1

第2回をお届けする。

◇連載第1回 → [随想][人さまざま] 卓球部サーガ――モッチャンつまみ事件

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モッチャンはワイルドな男であった。

われわれが英会話部と一、二を争うマイナーな部であった卓球部のメンバーであったことは前回に話したとおりだ。今回はその練習中に起こった事件についてお話ししよう。

われわれは毎日5時間ちかくの練習を行っていた。部の顧問教師はまったく卓球ができなかったので、用具や練習方法の決定、他校との練習試合の取り決め、大会でのチーム編成等々のすべてを自分たちでなんとかせざるをえなかった。この顧問教師についても話したいネタはいろいろあるが、まあいまはそのことは置いておこう。結局、練習後にはチャリンコに乗ってガリガリ君を食いながら

地球が何回まわったとき!?

などと叫ぶしかないような田舎のバカな男子高校生どもが自己決定のもとにいろいろとやりくりしていたわけで、文字どおり児戯に等しい部活動であった。盲目的な猛練習がいかに詮無いものであるかを理解できたのは、引退後しばらくたってからのことである。まあそのことも置いておこう。

モッチャンである。

平日の練習はたいてい15時半ごろに始まり、20時ごろに終わった(朝練は別として)。時計が20時を指すころになると、必死に練習をしていたわれわれの気も緩みはじめる。そんなときには、しばしばわれわれは卓球ショーの真似事のようなことをして遊んだ。隣で練習をしていた(野球部と一、二を争うメジャーな部であった)バスケ部員たちが帰ったのちにバスケットボールを持ち出してきて3オン3をしたり、バスケ部員たちが使っていたベンチプレス器具などを拝借してウェイト・トレーニングの真似事をしたりもした。ちなみに、ある春の朝、朝練をする気がどうしても起こらずモッチャンとバスケットボールをして遊んでいたら、新一年生のバスケ部員がモッチャンに

チャース

と挨拶をした(わたくしにではない)。モッチャンはバスケ部員に間違われるくらいの長身であったのである。しかし、これも今回の話には関係がない。どうも話がそれて困る。

モッチャンである。卓球ショーである。

右画像のようなシーンを想像してほしい。もしかしたらテレビでご覧になったことがあるかもしれない。これはたぶん中国の卓球選手によるエキシビジョン・マッチであろう。奥のほうの選手は卓球台からうしろにずいぶんと離れたところまで下がり、しかも打球後に宙返りをしている模様である。もちろん、インターハイにも出場できなかった程度のわれわれの技量であるから、このような超絶技巧は望むべくもない。しかし、まあ、あくまでつもりとしては、感じとしてはであるが、このような遊びをしていたのである。ところで、もし卓球ショーを観たことがないという人は、ぜひいちど観てみてほしい。どこで観られるのかわからないが、SKY PerfecTV!「卓球・バドミントンTV752」を辛抱づよく観ていると、いつかはお目にかかれるかもしれない。

ともかく、その日、われわれは卓球ショーの真似事をしていたのである。そのときモッチャンのお相手をしていたのは入学したばかりの一年生部員Nだった。Nは、わが卓球部の全歴史をひっくるめて考えても有数の飛び抜けた素質の持ち主であり、その卓越した卓球センスはわれわれ三年生どもにはとうてい及びもつかないものであった。しかも、Nは素質に恵まれていただけでなく、練習にも非常に真剣に取り組んだ。さらに、こちらから頼んでもいないのに妙に礼儀正しかった。言葉づかいなど、融通がきかぬのではないかと思われるほどに馬鹿丁寧で、そのポライトネスは上級生のわれわれから見ても異様に思えるほどであった。イメージとしては、アダルトヴィデオ収集癖を差し引いた松井秀喜といったところだろうか(ひょっとしたら、成人したいまではNもAV収集の鬼と化しているのかもしれないが)。ちなみに、中学時代に県の王座を守り抜いた彼も、高校時代には王座から転落してしまう。その責任の一端がわれわれ上級生にあったのではないかと思うと、いまでも少し心が痛む。まあしかしこれもいまは関係がない。

エニウェイ。そのNがだ。ほとんど非の打ち所のないプレーヤーであり、また部員であったNであったが、ひとつだけ、たいしたことではないにしろ困ったことがあった。これはひょっとしたら彼の誠実さと礼儀正しさといった「長所」と表裏一体のものであったかもしれない、というかそうであるに決まっているのだが、彼は、あまりにも、極端なまでに、度を越して、真面目すぎたのである。カラオケに行く。すると彼は、歌うそばから「どうもキーが合わないなぁ」とか「スミマセンもう一回最初からいいですか」などと言いだすのである。ボウリングに行く。すると彼は、自らのフォロースルーにたいする反省やレーンの状態ばかりを気にしているのである。ストライクを決めたときにするはずのハイタッチなどもってのほか、完全にアウト・オブ・眼中である。ちなみに、上記の記述からわかるとおり、われわれの時代、田舎男子高校生にはカラオケボックスとボウリング場と映画館くらいしか近代的娯楽場がなかった(いまもそうなのかもしれないが)。カラオケボックスはJR(国鉄)の貨物車を改造した寂しいもので、ボウリング場はやたらに広く、映画館はどう考えても変な二本立てをやっていた。まあしかしこれもいまは関係がない。

モッチャンである。卓球ショーである。Nである。

その日のわれわれの擬似卓球ショーにおいて、モッチャンは上記画像の奥のほうのプレーヤーのように、卓球台のずっとうしろに下がっていた。Nがスマッシュを打ち込み、モッチャンがロブを高く上げてボールを返す、という役割分担である。

Nが厳しいコースに鋭いスマッシュを打ちこんだ。ボールはモッチャンのフォアクロスを深くえぐった。モッチャンは闘志をむきだしにして、逃れ去ろうとするボールを追いかけた。彼は後方はるか遠くまで全力疾走しながら、いまにも床に着地せんとするボールに向かって突進する。しかし、あまりに無理な体勢でボールに飛びついたために、その体勢は大きく崩れていた。

ギャー!

およそ人のものとは思われぬ叫び声が館内をこだました。ロブを打ち返した瞬間、モッチャンはもんどりうちながら、卓球部の領域とバスケ部の領域を区分していた柵に激突し、バッタリと倒れこんでしまったのである。

われわれ一同は大笑いした。「ひどい」と思われるかもしれない。しかし決してそんなことはない。というのも、上記画像にあるような宙返りまではしないにしても、われわれもまたふざけてジャンプしながらボールを打ったり、後ろ向きでボールを打ったり、また時には倒れこみながらボールを打ったりすることがあったからである。

しかし、立ち上がったモッチャンを目にしたとき、状況がそのような牧歌的なものでは断じてないことをわれわれは悟った。モッチャンが立ち上がり、こちらに振り向いた瞬間、体育館の全体が凍りついた。

見よ、モッチャンの額から大量の赤い血が噴出しているではないか。しかも、モッチャンは自分でその惨事に気がついていない。

ガハハハ!

照れくささもあってか、モッチャンは破顔一笑してわれわれを見やった。しかし、血糊で真っ赤に染まったその形相は、まるでホラー映画のクライマックスである。映画『シャイニング』において、額から血を流したジャック・ニコルソンがニュッと顔を出して「Here’s Johnny!」とうそぶくシーンを思い出していただければ、感じがつかめるかもしれない。

ふだんは冗談ばかり飛ばしているわれわれも、このときばかりは――真っ赤なモッチャンとは対照的に――顔面蒼白となった。

永遠の時が流れた。

凍りついてしまったわれわれは驚愕と恐怖でなにも言えなかった。その静寂を破ったのは、やはりNである。Nは、例によって礼儀正しく馬鹿丁寧に一言、こう言い放った。

モッチャンさん、頭から出血されています。

―了―

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